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永井均の哲学塾@朝日カルチャーセンター

2012 / 03 / 18 by GoKoyashiki


既に30曲以上作曲をしていますが、アルバムへ入れるのは現状3曲。
いやはや、産みの苦しみが続いています。

ピアノとアコースティックギターのアルバムにするつもりですが、
ずっと聞いてもらえるものを作りたいという思いで取り組んでいるので、
どうしてもクリア基準が高くなってしいまいますね。

このアルバムが完成したら、音楽は暫く作らないつもりなので
(まだアイデアベースですが、映画を撮ろうかなと思っています)、
妥協した作品を作るわけにはいきません。

力の及ぶ限り、ゆっくりと編んでいきます、



永井均さんが朝日カルチャーセンターにて講義を行っていたのでいってきました。

写真


エキサイティングな講義だった。

以下は最重要ポイントのメモ

・レアリテート(実在)における変化は起こらないが、アクチュアリテート(現実・実際)の変化は起こる。これは<私>を理解する上で重要なポイントとなる(カント原理とライプニッツ原理が対立型がここにも適応できる)。現実世界においては、「いたち」や「いらじ」の場合と同様に、「私」と「<私>」は符合した一つのこととして見なされる。がしかし、通常は合致しているが実は別の原理に基づいているが故、一方の原理について可能と考えられることが、他方の原理においては不可能(無意味)であるということは当然のことである。

・ウィトゲンシュタイン的独我論は言語の原理と対立するように出来ている。逆にいえば、そのことによって言語の原理が何によって出来上がっているかということが照らし出される(デカルト的独我論は言語の原理とは対立しない)。

・独我論は伝わらない。というと伝わる。「何が伝わらないか?」を知的に理解することができる。それでは、なぜそれは知的に理解できるのか?。これは、講義の前半に永井が言っていた「ウィトゲンシュタイン的独我論に反論するのであれば、私には絶対に感じられない他人の痛みがある。ということを証明しなければならない」ということに結びついているのではないか?

・永井はウィトゲンシュタインにしろデカルトにしろ、一生をかけてある哲学的な洞察を深めていった者の主張を敷衍して哲学することはあれど、その主張の中に収まるようなことは絶対にしない。真理に近づき論が強力になっていくにつれ、築き上げたそれ(論)を手放したくなくなる(すがりたい)のは当然の感情であるが、永井は決してそこへは落ちない。ある対立が存在するとき、真に重要なのは、どちらか一方に立脚して片方を論駁することなのではなく、双方が出てきて闘わざるを得ないその理由は何か?にこそ視線が注がれるべきなのである。最後の「言語を使って考える以上当然この独我論は相反することになりますよね?」という質問に対する回答で、永井が徹頭徹尾哲学者なのだということが良くわかった。